![]() | ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫J) (2008/09) 森田 季節 商品詳細を見る |
ストーリー
ひとつ、イケニエビトを殺した人だけがそのことを憶えてる。
ふたつ、イケニエビトは殺してもたった数年でよみがえる。
みっつ、タマシイビトは人の記憶をむしゃむしゃ食べる。
よっつ、タマシイビトはイケニエビトを好んで食べる。
いつつ、イケニエビトの歌は遠い国からやってくる。
むっつ、イケニエビトは自然とこの世に紛れこむ。
ななつ、タマシイビトは歌声聞いてやってくる。
「僕、女の子を殺したんだ」――
不穏な告白から始まる奇妙で、不思議で……
切なくて。ほんの少し、希望を信じる勇気が沸くお話。
総括
面白さは後に置き、いきなり総括から入りますが、抜群の距離感がある作品だと思います。
ライトノベルの枠組みとしては少し違う、でも、ライトノベルでしか有り得ない舞台を
敢えて選んで書いている印象を受けました。
どういうことかと言うと、この手の書き物としては珍しく、勢いとキャッチーなネタがないんですよ。
女の子ひとつとっても、容易にオタを悶えさせるインスタントな可愛らしさがない。
何と言えばいいのか上手い言葉が見つかりませんが、表現が漫画的じゃないのかな。
それでいて、そんなところを期待して本を開いた自分に最後まで読ませる自力の深さ。
それが個人的にこの作品の一番面白いところです。
もう少し言うと、ラノベを読むときって大抵の場合、
読む前に自分のファンタジーの受け皿を調節するもんですよね。
吼えろペンで島本先生が描いていらっしゃいましたが、要するに
作中で異世界に召還されても素直に受け入れたり、
学校のアイドルと付き合ったらクラス中の雄にリンチ喰らう理不尽さを受け入れたり、
パンツじゃないから恥ずかしくないもんなんてぶっ飛んだ言葉を吐かれても、
問題なく、引くことなく、先を読めるみたいなそういう自分自身の受け皿の調節です。
いいんですよ、これはこれで。それが見たくてラノベを開くわけですから。
ところが「ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート」にはその要素が出ない。
それを褒めるわけではありません。ただ、だからこその驚きと共に嬉しさを覚えたりもします。
ラノベというジャンルの可能性の開放に喜びを味わうみたいな感じですね。
たとえば
帯に書かれた煽り文句ひとつとっても、「せつなさはロック」と、
かなり気恥ずかしいものなんですが、それを受け止められるかっこのつく格好よさ、
言い換えれば度量が、この作品にはあると思います。
ヒロインである左女牛(さめうし)さんの第一声からして、ちょっとしたセンスですよ。
「焼いたフルーツってずるい味がする」
経験未熟な自分じゃこの言葉への返しが思いつきません。
作中で「ずるいって何だよ?」と返して左女牛さんに呆れられる広峰君と変わらないでしょう。
そう感じてしょんぼりと読み進めていくと今度はこれ。
女は自分を改造するのにお金を使うけど、男はパソコンとか自分じゃないものを飾って楽しむ。そういえば車とか電車とか男は改造できるものが大好きだ。女の子もその一部なんだろう。バッグを買い与えてカスタマイズ。ブーツを買い与えてカスタマイズ。キスのときの舌の絡め方を開発してカスタマイズ――――なんちゃって。
私は第一声で「感動した」とか言うボキャブラリーの貧困な人間と会話するのは極力避けることにしている。言葉遣いは伝染する。科学的に証明できなかろうとこれはこの世の決まりごと。
こうやって続く左女牛さんの独白の嵐が一々、着眼点が妥当というか良いというか……
物語への引き込み方としても、上手いと思うんですよね。
そして自分も「感動した」とか言わないようにしようと勉強しちゃう訳ですよね。
結局
大体、褒め終わったので次に行こうと思ったのですが、
作中で語られることについては左女牛さんへの返し言葉以上に
よう言える言葉が見つからないことに気付きました。
……世の中には、言葉に出して言ってしまうと逆に陳腐になってしまう現象ってあるじゃないですか。
多分、これもそれですよ。
上記の引用等で興味の沸いた方だけ、自分の目で確認して下さるのがいいと思います。
オススメ★は5段階評価で。★★★★
楽しさ<感受性のお話でしたので、一個減らしました。
一度読んだ人間を鷲掴む強さはあるけど、
バラエティ豊かな物語には集客的な意味で勝てないだろうなというところです。
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